
六甲山の麓の
おしゃまだった2歳過ぎには母のおやつのキャラメル作りに“参加”(私の役は切れ端のつまみ食いとセロハンに包む役)してた記憶がうっすら・・・
そして小学校時代は給食(今みたいに美味しくなかったのです、アルミの器だしまるでワンコの餌?)がどうしても食べれずガリガリに痩せてしまいましたが、中学生~社会人の間は勉強も仕事もそっちのけでせっせとお菓子&料理教室に通い、デザート付のお弁当つくりに精を出す毎日で見る見る縦横に成長・・・
そして仕事の合い間に世界をいい加減食べ歩いた頃、大好きな料理を生かした地中海料理のケータリングを始めようと退社し、2年間計画でイタリア~南仏~スペインに料理修行に・・・
出たはずが、最初の語学研修地ペルージア大学留学中にF1のチーム・ミナルディの日本向けプレス就任のオファーを請けて(オフには美味で有名だったチームのボローニャのケータ―ラーでの修行許可付に狂喜して!)ミラノに転居。
その後、バブル崩壊で契約は解消となったものの、幸運にも家具メーカーのミラノ駐在プレスの仕事を得てそのままミラノに留まり、「地中海式ダイエット」で有名な私立料理学校でのアシスタントをしたり、クラウディオ・サドラーなど有名シェフの料理教室にも通い始め、またミラノの自宅や出張形式での駐在員向けのイタリア料理教室をスタート。
やがて生徒さんの関係から、日本の雑誌の取材や連載執筆が始まりイタリアの最果ての島から国境の村までくまなく旅をしたり、食材&ファッション&インテリアの商品開発や百貨展イベント企画を受けることになり、同時に芦屋&青山でのOPENクラスの料理教室や阪神間&都内での出張レッスンもスタートし、日伊を目まぐるしく往復する日々が始まった。
そうして過ごした12年間の2重生活に一区切りをうち、2006年1月にベースを日本に移したものの、やっぱり1年の1/4の時間は世界を回遊しています。
なぜってそれは、まだまだ知らない新しいこと旧いことが一杯あるし(日本にも!)、日本に居ては見えないニッポンをI cinque sensiで感じていたいから、そして変化し続けたいから・・・